自分の正解は、確かに自分の心が決めていいのだけれども、それは実は、周りの環境と自分の心との関係性、調和、ハーモニーとでも呼ぶべきもので、決まる気がします。
もし、自分だけを見つめるなら、周りからは一切の景色が消え失せ、自分が一体どこに立っているのか、わからなくなり、どこから来てどこに行きたいのかも、わからなくなる感覚になるでしょう。
自分らしさというのは実は、自分1人だけで生きるのであれば、意味をなさないことなのです。
かといって、
この世界のどこかにあらかじめ準備されている形になろうとすることは、自分らしさではありません。
それはただ自分をあざむき、何かに擬態(ぎたい)をするということにすぎないのですから。
擬態(ぎたい)というのは、
自分ではない何かになって、自分だけが目立つことのないように、周囲の様子に合わせて自分をカモフラージュし、生き延びていくことです。
みんなと一緒にいるのではなく、みんなと一緒にいるかのように、ぴとっとその周辺にくっついているだけです。
しかし、そんな自分では、周囲の様子をうかがうばかりで、ほんとうに今、自分が感じている感覚との間に、不一致を起こします。
きっとそれが知らぬ間に自分から気力を奪うでしょう。
自分らしさというのは、この世界と自分とが、どのように関わりあうのかを、自分で決めるということなのです。