ネガティブな感情は癒やすべきものなのに、
自分の中から、なかなかそうした感情が
消えないなあと、嘆いたりしたことはありませんか?
インナーチャイルドワークをやっても
きりが無いなあと、さじを投げたこともないでしょうか?
事実、インナーチャイルドワークには
効果がなかったという人もおられるでしょうし、
延々とそんなことをしていても
きりが無いというセラピストの意見もあります。
確かに、
インナーチャイルドワークには効果がないという意見も
幼少期の心を癒やす事が、
インナーチャイルドワークだと考えているのなら
それも正しいと言えるでしょう。
しかし実際は
インナーチャイルドを理解するにあたり
幼少期に受けた心の傷という解釈は、
ひとつの側面として間違いではないものの
完全な理解とは、まだ言えません。
人間にインナーチャイルドという存在が、なぜ生まるのか
という、「根本的な視点」にまで掘り下げてはじめて
わかることもあるのです。
もしあなたがカウンセリング、セラピーなどを行う立場のひとであれば
今まで以上に適切な見立てが行えるようになります。
自分に対してインナーチャイルドのワークをしてみたい人なら
正しい理解が身につくことで、
インナーチャイルドへの向き合い方の質が上がることと思います。
いずれにせよ
ぜひ役立てて下さい。
生きるという命題|一度すべてをそこに還元してみる
私たちには生まれ持った本能があります。
すなわち快と不快への反応です。
生存にとって心地よいものには近づいていくし
生存に差し障るものには不快を感じて遠ざかります。
命の安定があるところは心地よいものです。
たとえば、眠ること、食べること、触れ合うこと・・・
生まれたての赤ちゃんを想像してください。
赤ちゃんは純粋な命そのものであり
周囲にあるものが心地よいのか不快なのかには敏感です。
生存にとって心地よいものに囲まれることで安定します。
だからお母さんの愛情をめいっぱい受けとることで
この世界を安全で素敵な場所だと感じることができるのです。
これは心理学的にも知られており
お母さんのめいっぱいの愛情行為は、
母性的な没頭(マターナル・プレオキュペーション:maternal preoccupation)
とも呼ばれ、必要なこととされています。
そのときに赤ちゃんに触れることで、
母子ともにオキシトシンを増やせます。
オキシトシンは、
人と人の間に形成される信頼や愛、あるいは人間の活動
(経済,政治,社会,家庭) の生物学的基盤に重要です。
生物学的基板、つまり生物として
命が安心な状態におかれると
私たちは本来の力を発揮するのです。
それぞれ私たちは
「わたしの命」を安全に育むことを望んでいます。
なにが「わたし」なのか?
ところが
なにがその「わたし」なのか?
「わたし」が大切に守るべき「わたし」とは
一体何であるのか?
そこが問題になってくるのです。
意外なことに、私たち人間は、
“概念的なもの”と”物理的なもの”が、
区別ができないのです。
なにを伝えたいのかと言うと・・・
物理的な「わたし」=身体
概念的な「わたし」=精神
どうやらこの2つを
人間は区別できない、ということです。
そのどちらも、
物理的、身体的なものだと見なし
反応してしまうのです。
本当に?と思いますか。
脳の進化と共に、こころが生まれた
本当です。
それは私たちが、
身体と精神を区別をしないことに決めて
進化を遂げたからです。
もともとは身体のためにあった脳の機能を、
精神のために”使いまわし”する
戦略をとったのです。
脳は最初、物理的な身体のためにその機能を
発達させてきました。
そこにあとから
高度に発達した大脳新皮質を加えた
というわけです。
もともとあった
身体のための機能を、精神にも使いまわすことが
できたおかげで、
精神のために新しい部位を
さらに創る必要はなくなったのです。
ただし、
肉体のための機能と
精神のための機能を使いまわししているので、
精神と身体は切っても切れない関係になりました。
つまり脳にとっては、
わたしの命=わたしの身体=わたしの心 です。
すべてイコールの関係なのです。
そうなると「生きる」ということは
「肉体と精神のわたしの両方を維持する」
ということに他なりません。
そこでだんだんと
ややこしいことが起きてきます。
「肉体のわたし」だけなら
わたしの頭
わたしの手
わたしの足
のように、なにが自分なのか
ハッキリしています。
でも
「精神のわたし」の場合
その範囲は無限に広がります。
わたし=わたしの名前
わたし=わたしの服
わたし=わたしのお金
わたし=わたしの家族
わたし=わたしの友人
わたし=わたしの気持ち
わたし=わたしの考え・・・
「わたしの〜」という定義をすれば
それはあなたの一部になっています。
その定義で
どれもあなたの一部として
脳は認識します。
その証拠に
それらがひどく傷つけられたり、
強引に奪われたりすることを想像したときに
あなたは文字通り
身を裂かれるように辛くなります。
なにが「わたし」なのか
という輪郭は
想像以上に広がっているのです。
心が緊張状態になる理由
さきほどは
生物学的基板、つまり生物として
命が安心な状態におかれると
私たちは本来の力を発揮すると言いました。
反対に言えば、
命が危険な状態におかれると
ファイト・オア・フライト反応と言って
闘うか逃げるかの二択を迫られる緊張状態になるのです。
私たちにとっては
「肉体のわたし」が、危険な状態におかれる可能性よりも
「精神のわたし」が、危険な状態におかれる可能性が高いのです。
脳にとっては肉体と精神の区別がつかないので・・・
わたしの意見に反対する人=わたしの命を否定する人
わたしの立場をおびやかす人=わたしの命をおびやかす人
という受け取り方になるのです。
あなたの感情が不安定になることがあるとすれば
潜在意識レベルでは命の危険につながることだと
感じているのです。
こうした
「わたしの〜」がつくものを
何としてでも、守ろうとするための
脳の働きの一つが
インナーチャイルドなのです。
まとめ:インナーチャイルドの癒やしとはなにか?
ネガティブに思える感情反応、
つまりインナーチャイルドの反応は
あなたを守ろうとしている
命としての自然な振る舞いだと理解できます。
私たちは、それを理解したうえで、
受け入れ、越えていくこともできるのです。
合わせて読むと、完全理解
インナーチャイルドとはなにか?|幼いころに形成された、あなたの性格のパターン
母親の愛情を与えられた赤ちゃんが
そうであるように、いまでも私たちは、
充分な安心と安全を感じられた時、
生きていることの心地よさがよみがえります。自分を癒やすということは
そのような安心で安全な場を
自分に与えてあげることです。それがインナーチャイルドワークの
目的です。
インナーチャイルドについての
ルーツの振り返りはいかがでしたか?
あなたのインナーチャイルドに向き合うときの在り方が
さらに愛情深いものになりますように。