リソース志向

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こんなときに有効です

じぶんの生き方を変えたい。
じぶんの生き方を見つけたい。
なにかプラスの変化を起こしたい。

だけれども、
結果を出したくて、期待をしていると
思っているように上手くいかなくて
ガッカリする

これは
私たちが無意識の前提として
うまくいかないことには、
価値がない
と思い込んでいるからです。

これまでずっと
間違わずに、
ちゃんとできるようになることが、
正しいのだ
と信じてきたからです。

ですから
この前提があるかぎり

うまくいかないこと、
すべてが悪(役に立たないこと)になってしまいます。

こんなことをしても
役に立たないかもしれないとか

どうせ無理かもしれない、けっきょくは無駄かもしれない

と、行動する前から
うまくいかないことを
警戒します。

そして行動したとしても、

思ったようにうまくいかないと、
やはりガッカリするし、

そんなことが繰り返されると
自分がイヤになっていきます。
そんな環境もイヤになっていきます。

ですから
逃げたくなったり、動きたくなくなったり、
思考停止したりもします。

このような感じで
うまくいかないことには、価値がない、
という前提で生きている限り、

成功の見込みが実感できない行動、
失敗につながる可能性がゼロではない行動を
したくなくなります。

その結果として
動きが止まってしまい
現状にとどまることになり
なにも解決しなくなるのです。

 

「悪を悪と知りつつ行う人間はいない」

むかしむかし
ソクラテスは言いました。
「悪を悪と知りつつ行う人間はいない」

ギリシャ語の
「善(アガトン)」
「悪(カコン)」
という言葉には
道徳的な意味合いはありません。

「じぶんのためになる」「じぶんのためにならない」
という意味で
「善」「悪」という言葉が使われています。

私たちは、潜在意識レベルにおいても
「じぶんのためにならない」ことを欲しません。
「悪」を欲しないのです。

ですから
私たちがどんな行動をしていても
そのすべては
何かに役立つはずだと思って
「じぶんのためになる」からやっているのです。

私たちは結局
なにをしていようが
なにをしていまいが

「じぶんのためになる」ことをする
生き物なのです。

たとえそれが
「こんなことが何の役に立っているのか」と
思うようなことでもです。

どうせだったら
ほんとうは何がしたいのかなあ?
と耳を傾けると良いでしょう。

そして
究極的に役に立つことを
じぶんの中から発掘してやればいいのです。

 

すべてのことは何らかの役に立っている

さてそこで
すべてがリソースだ、という
リソース志向が役立ちます。

リソースとは、資源のことです。

資源とは、何かに役立つもののことです。

天然資源、観光資源、経営資源…
といったような
使い方をされます。

まず最初に
なにかの目的があって
それに役立つことから
「資源」と呼ばれているのです。

よく知られているのは石油資源です。

だけれども、
石油を燃料に使ったり、製造につかったり
するので石油は資源と呼ばれているのであって

もしも
燃料に使うという目的
製造に使うという目的が
なければ

それは資源とは言いません。

ただの物質です。

目的が存在しないところには
資源という意味づけは存在しないのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
目的があるところには
なにかの資源が、かならず見つかる。

すでに資源があるのであれば
なにかの目的が、かならず存在している。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

一見マイナスに見えることでも、

「これはじぶんに役に立っている」
「これは何かの資源なのだ」

と思って
再考するとどうなるでしょうか。

「○○という目的を果たすために
この体験をどう資源として
役立てることができるだろう」と、考えれば

見えなかった目的を、発掘することができます。

反対に、
「○○という目的を果たすために
どんな資源が役立つだろう?」
と考えれば、

いままで見えなかった資源を
周囲に発掘することができます。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
資源と目的は、
手段と目的の関係です。

ですから、
「一番大切な目的は何か」を知ることが大切です。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

その「大切な目的」が分かれば、
私たちの活動のすべてが

そこに向かって働いている、または
そこに向かって働いているつもり
であることが
見えるようになってきます。

ある目的からすると
それが役立つ資源になっているという、
プラスの側面が必ず見つかります。

どのような行動の中にも
どのような思考の中にも
かならず資源が見つかります。

資源があるならば
目的も必ず存在しています。

「一番大切な目的」に向かって
人生を歩むのであれば

大切にしたい価値にそって、
常にじぶんを開いておくこと
色んなことを試してみて
すばやく修正しつづけることが必要です。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
じぶんとの対話を増やすと、
いろんなものがリソース(資源)になる

他者との対話を誠実におこなえば、
いろんなものがリソース(資源)になる
ーーーーーーーーーーーーーーーー

人生は
対話によって
さまざまなリソース(資源)が
出現する場です。

 

 

 

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • いーさん より:

    「うまくいかないことには価値がない
    と思い込んでいる」には笑っちゃうほど、
    手をたたき膝をたたくほど目から鱗でした。

    実生活ではこの方法はうまくいかなかった、それでは別の方法を探す、
    とかで、ふつうは判断しますよね。

    そんな時にはともすれば深く考えずに無駄なことをした、価値がなかった、と断じてしまっていたのではないか?と思いました。

     私のような年寄りは厚い甲羅を重ねていて対人関係でも体験的方法論をイロイロと持ち、それなりに生きてきましたが、実のところ「無駄に歳をとった感」があります。

    頭もボケちまった歳よりって?これってどうなの資源になるのだろ~か?
    社会的な地位や成功などは明らかにマイナスで諦めなければならないこの頃、
    せめて葬式代くらいは残して~とか恥ずかしながら思っていましたが、

    他に残せるものはないかと考えると「ほんまもんの人間」とか「生きてて良かった」幸福感とか、
    のキーワードが思い浮かびました。

    突然、悟ってたまるか~死ぬまで泥臭くあがいてやる~、
    などと思い浮かんだりします。

    支離滅裂ですみません。

    • Avatar photo くにさき より:

      いーさん、ほんまもんの人間っていいですね。
      その体験そのものが、生きていく価値のような気もします。

      そして、ほんまもんの人間は、悟ったようなことも言わず、
      すべての体験にじぶんをまるごと投じて、うんうん悩んで、笑って、生きていくのでしょう。
      この泥臭さが、まさに生の価値だとすれば、
      私は嫌いではありません^^

      泥臭くあがくことができるのは
      あがく強さや、自己信頼が必要なので
      柔軟な心も大切にしたいですね。

      スマートさと泥臭さ、どっちもある人生が送れたら本望です^^

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