知るとはなにか?
私がはじめて”心の世界”について学び始めたとき、学べば学ぶほどに、まだ知らないこと有ることが分かりました。知れば知るほどに、世の中にはスゴイ先生がいるものだと分かりました。ひとつ学ぶごとに、新たな未知の世界が広がってしまい、途方もない道のりに圧倒されてしまいました。その結果、自信をなくしたことを覚えています(汗)。
だけれども、今ならわかります。学ぶごとに、未知の世界が広がるのは、自信をつけることではあっても、自信を失くすようなことではなかったんだあ!と。
なぜ考え方が変わったのか?を振りかえりました。
理解の解像度が上がるとアラが目立つ
なにかについて学ぶと、「知識の解像度」があがるんです。理解の”きめ細やかさ”があがっていくので、最初は目立たなかった、”理解の粗っぽさ”が目立つんです。
中国の孔子が、凄いことばを論語に残してます。
「知るを知るとし、知らぬを知らぬとする、これすなわち知るなり」
<じぶんが何について知っていて、何については知らないのかを知っていること>
これが知るということだよ。。。ということです。
ある物事について、たいして知らないときには、<じぶんが何について知っていて、何については知らないのか>は、じぶんでも分かりません。でも、その物事について、深く知ることができると、知った分に応じて、まだ明らかでないことや、知らないことが見つかるものです。
ワカラナイことを増やすことが、本当の学び
つまり、学びが上手くいけばいくほどに、「まだ知らないことがある」ことに気がつくのです。学ぶごとに、未知の世界が広がるのは、学びの道を進んでいるのだという証拠です。自信を失くすようなことではなかったんだあ!と、私は楽しくなりました。
「知らないこと」が増えることについて歓迎する姿勢は、勉強のことだけではなくて人生全般に役立ちます。「知らないこと」は、未知、可能性、革新、進化につながっているからです。
何か新しい行動を起こすときに、私たちが恐れたり、心配したりして足踏みしてしまう理由のほとんどは、「失敗」をしたくないからですが、「失敗」というのは、「じぶんが期待したのとは違う結果」のことです。
人は、「じぶんが期待したのとは違う結果」を恐れるものですが、「じぶんが期待したのとは違う結果」を得ることは、新しい学びです。その行動や結果について、<じぶんが何について知っていて、何についてはまだ知らないのか>を知ることができるのですから。
その意味で、たくさん失敗したなあと思う人が、たくさん経験をした人であり、たくさん学んだ人です。
そういう人は、その道の知識が豊富です。ただ豊富なだけではなくて、まだじぶんがまだ知らないことがあることについて、恐れを持っていません。ワカラナイことが増えることが、本当の学びだと理解しているからです。
嘆きは才能かも
冒頭にも書きましたが、私がはじめて”心の世界”について学び始めたとき、学べば学ぶほどに、まだ知らないこと有ることが分かりました。知れば知るほどに、世の中にはスゴイ先生がいるものだと分かりました。ひとつ学ぶごとに、新たな未知の世界が広がってしまい、途方もない道のりに圧倒されていました。
これをお読みになっているあなたも、ご自分の体験で似たような思いを抱いたことがあるかも知れませんね。ときには自信をなくしながらも、嘆きながらもそれを続けることができているのは、あるいは才能かも知れません^^
ハイヤーセルフの価値基準とあっていれば、ドンピシャでしょうね。